少量生産/少量消費/地産地消/ハート主義/高文化価値/独自経済圏/オーガニック

政治と選挙が社会を変えていくと思われている方が多いと思いますが、実際はそうではありません。政治と選挙に民主主義的妥当性が付加した時に初めて政治と選挙が社会に訴えかけていける力を持つわけであり、現在の政治と選挙がそれを持っているとは必ずしも言えないと思います。

現在、最も民主主義的性格を帯びているものは、【何かを買う】ことによる社会参加権です。選挙による投票が機会の均等を与えていたとしてもそれが行使されなければ、結果的に不平等な社会参加権となります。それに比べて【何かを買う】社会参加権の平等率はかなり高いです。だからこそ税の論議をする時は、消費税はそのような平等性をベースにした語り口で語られます。

そういう視点が必要です。それとともに【サブカルチャーを構築する】というのも社会の民主主義的性格を広げる社会活動になります。閉ざされた空間の中で提供者と享受者の通貨による健全な市場が形成された場合、完全に自由で平等な経済循環が達成されます。これが通貨の女神理です。

上記2つの民主主義的パワーを<9.11を生み出したウォール街Greed資本主義>と対抗させるために【spiritual】を構築しました。民主主義そのものをご理解される方が少ないのでGreed資本主義を【spiritual】に持ち込んでいる方も多くいらっしゃいます。もしくはお金の授受を否定する人たちによって【spiritual】が攻撃されるパターンも多くあります。

これら全ての原因は、やはり社会というWholeness/ONENESSを認識していないがためであると感じます。例えば、ひとつの森の生態系は、全ての生命の躍動と息吹が全体性に寄与することによって完全に調和しています。落ち葉は微生物の滋養となり、微生物は小動物のえさとなり、小動物は大動物のえさとなり、大動物の屍骸は森の滋養となります。全てが全体性に寄与しているのです。全てが美しいです。民主主義の原点はここにあります。

アセンションとは、このような全体性を認識し、自らがその一部であるということも同時に認識することです。自分の立場を越えて他に寄与しようとうする方は、雅でもあります。

昨日お話させてもらった話の中に若い人たちにダンスで食べていけるような場を提供したいというのがありました。非常に社会性の高い見識であると思いました。それこそ日本発の三方良しの経済循環の発想であり、まさに今、私たち日本人が取り戻さなければならない健全な経済循環の思想であると思いました。

私も社会的差別を受けているシングルマザーの方々が簡単に参入できる場をということで【spiritual】のモデルケースを想定していましたから、お遊び程度でやっている人たちが市場価格を破壊して真剣に生きている人たちの努力を台無しにしたり、大企業が大挙として参入してくることを非常に憂いていました。色々ありましたが、サブカルチャーの経済循環というのは、ある程度の参入障壁を作られる社会です。サブカルチャーというのは、これまでの社会に生きづらさを感じていた人たちのためのコミュニティーでもあります。

メジャーになって名前が売れたり、余りあるほどの人がどんどん来始めたりすることは私にとっては無意味です。そんなことよりも、一人の人が自分の才能に気づき、自分だけの人生と夢に立ち向かっていく姿に立ち会うことのほうが私にとっては有意義です。社会がより良くなるということは、自分の才能に気づき、自分だけの人生と夢に立ち向かっていく人が一人でも多くなることです。それがヴィジョナリーワンでありますし、ヒーリングの原点というのもそういうところにあるでしょう。

ダンスというのも価値としては眼に見える物質ではないので、それにお金を払うというのはそれなりに文化的教養がないと難しいです。以前世界に広がれ大和の御厳(みいつ) 〜 天の下ひとつ 〜記事などにも書きましたが、スピの世界でも同じような状況があると言って良いと思います。自分が感動したもの、自分を建たせていくものに対してお金を払える社会や集団は非常に文化的レベル/教養レベルが高いと思います。逆に、前にも言ったように物質にしかお金を払えない社会や集団の文化的レベル/教養レベルは低いと言わざるを得ません。

このことと東京に1局集中していることとマスコミが流される情報が正しいと判断されていたことはつながっています。

つまり、あらゆる価値を自分のハート(感動/唯心)で判断するのではなく、”皆が良いと言っているからそれは良いのだろう”という他人基準(メディア戦略/唯物)で価値を判断させられていたということです。

ここを変えなければ本当の意味で日本で芸術が復興する日は来ないでしょう。そして地方それぞれが独自基準に基づいて発展していくことも難しいと思います。全ての事象はつながっています。そういうことを変革していけるのが、ひとりひとりの<スピリチュアリティ>であり、<アセンション>なのであります。

当然のことですが、それぞれの地域には生物学の原則に基づいたそれぞれの発展モデルがあります。戦前まで培われていたwikipedia:後藤新平などの本物の方たちは戦後、消え失せました。その裏側には大量生産/大量消費/唯物主義/眼に見えないものにお金を払えないというものの考え方があります。原発人災はその最終形態として私たちの目の前に現れただけのことです。病魔はずっとありましたし、そのことにほとんどの方は眼を向けようとはしませんでした。

ですから、社会を変えようと思ったら誰にでもすぐにできるんですね。眼に見えないものにお金を払うという文化的レベルを上げる行動を今日からすれば良いですし、食料品などを買う時に、高い安いで判断するのではなく、どの企業が日本を建たせていくのかをしっかりと見極め、できるだけ数の論理だけで動いている集団にはお金を払わないということなんですね。

例えば、農薬漬けの見栄えの良い茄子3本100円で買うよりも、食べる人たちのことを考えて作った無農薬の茄子3本200円であったとしたら、見栄えが少し悪くてもたまにはそういう意識で後者を買うことがあっても良いと思います。そのことによって農薬が支持されなくなり、私たちの子供の世代に安全な社会を残すことができます。

そのような選挙権を私たちは毎日、行使しているのです。政治家が我田引水しているのは、私たちひとりひとりが、自分が得をするために如何に安いものを買うのかに血道を上げることと同じです。そこには【損/得】で物事を判断する心が存在します。しかし戦前までの日本人が判断の基準にしていたのは【美/醜】であります。

生き方が下手でも魂が美しい人が注目される社会になれば良いと思います。そんな社会になれば本当の意味での文化が各地で花開くでしょう。




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