光 東方より 出づ
新年早々ご返信遅くなっている方、申し訳ありません。
古代史だけでなく、たまには超古代史も書いておきたいと思います。
wikipedia:レムリアはプレートテクトニクス理論の完成によってほぼ否定されましたが、レムリアはあったでしょう。レムリア大陸は一般的に1874年に提唱された仮説だとされていますが、wikipedia:バーバラ・ウォーカーが言うようにローマの共和制時代から存在したwikipedia:レムレースにその起源を求めることができます。単数形はレムールですが、本来はフランス語のwikipedia:アムールと起源を同じくしていたのではないかと思います。つまり【愛】ということです。
レムレースは形を持たず、ほとんど知覚できないもので、暗闇によってもたらされる不安と結びついている。wikipedia:レムレース
というのは、ほぼ【愛】の裏返しであるでしょう。愛すること・愛されることを知覚できないものが不安を抱くことはないからです。
5月の9日、11日、13日をレムレースを慰め、家庭内から追い払う祭り(レムーラーリア (Lemuralia) またはレムーリア (Lemuria))の日としていた。家長がその夜、立った状態で黒い豆を後ろに投げ、豆の転がっていった方向を注視しないようにする[3]。レムレースはその豆を好むものとされていた。wikipedia:レムレース
これはほとんど日本における豆まきと同じです。つまり、日本における鬼はレムールなのです。それを日本ではwikipedia:節分と呼びます。【愛】か【怖れ】かを明確に別けて認識し、太陽を認識する節目(ヤマトタケル)にするためです。
日本語におけるオソレには、畏れ(神に畏怖する魂)と怖れ(神を恐がる魂)があります。前者がポジティブパターンで後者がネガティブパターンです。ずっと言ってきていますがどちらか一方が正しいのではなく両方が必要です。大事なのは否定ではなくバランスです。
日本の祭ではソレソレソレソレと掛け声をかけますが、ソレは太陽ではないでしょうか。アワは太陽のことを指し、ゲーター祭では竹でひとつの太陽だけを上げます。
その行事の裏側には、この世が闇に包まれるのではないかという【怖れ】があります。これが天岩戸神話の出発点でしょう。【反れ】が、焦点から外れるという意味を持っていることも<ソレ=太陽説>の傍証になるでしょう。ソリが雪(御幸)の上を滑ることからも、反り返ることは、神一重の何かであったことが伺えます。sorryが謝罪の言葉というのも笑えます。ここまで来るともうひとつ書いておきますが、youというのは古い読みはおそらくヨウであり、日本語でいう【夜】のことであるでしょう。sheは【海】であり【風】、heは【日】でしょう。夜は月読が治め、大海原はスサノオが治め、昼はアマテラスが治める。三貴神の揃い踏みです。
残った一人称の<I>こそが【愛】であり、レムールです。野を越え山を越え大海原を越え、昼も夜も関係なく、何者にも別け隔てなく流れ、私たちの一人称であり続ける【愛】。それは実体にもなり、幻影にもなる。実体になれば一部は子宝となり、幻影になれば怖れや憎しみとなってダークサイドに転じていきます。
全ては節目(タケル)の問題なのです。この【節】を認識すれば不死(富士/藤)になるということなのです。日本で藤が満開になるのは共和制ローマでレムールの祭典が行われていた5月のこと。愛は永遠に不滅というけれど、人間が亡くなっても本当に愛は無くならない。愛には実体がないというのならば、なぜ人類は愛による結果で命を繋いでいるのだろうか。
石清水八幡宮の”続きの水兵さん”は、藤棚のほうを向いていました。不死身稲荷の末広がりは、人間愛の不滅へと綱がって参りました。
不死鳥 父子朝 節寵
光 東方より 出づ
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